今回は、何年か前にTwitterのダイレクトメッセージでいただいた質問を元に、情報量を増やしてお伝えします。
Q0012.
Twitterのプロフィール欄
A0012.
はい。絶対数としては非常に少ないとは思いますが、確実に存在しています。
●まずは記事をご紹介
しばらく前のことですが、朝日新聞に次のような記事が載りました。峯岸みなみ氏の「事件」からまだ半年しか経っていない時期のことです。
丸刈り女子は助監督 大島海洋国際・野口選手大島海洋国際(大島町)の野口美由紀(3年)は、丸刈りだ。チームメートは止めたが、最後の夏の大会、初めてのベンチ入りで気合を入れた。規定で女子選手は公式戦に出場できない。助監督として、背番号のないユニホームを着て、11日の初戦に臨む。
(中略)練習試合では外野手として出場することもあったが、夏の大会は、ずっとスタンドからの応援だった。
最後こそは「ユニホームでベンチに入りたい」。自分でインターネットで規定を確認し、今年の春季都大会前、林伸生監督に「助監督」になりたいと、申し出た。
(中略)
肩まであった髪を切ったのは、2週間前。「最後なので気合を入れたい。やるなら今しかない」と、学校の寮で、野球部の仲間に頼んだ。バリカンを入れたエースの渡辺祐太郎(3年)は「一回とめたけど……」と苦笑い。それでもこの気合に「これでチーム一丸になった!」。
(以下略)
「夏舞台、君も主人公:第95回全国高校野球東・西東京大会、あす開幕/東京都」
『朝日新聞』2013.07.05 p28(東京都版)
この記事は、以前はWeb上にもほぼ同内容の記事が掲載されていたのですが(朝日新聞デジタル:高校野球「丸刈り女子・運動制限…君も主人公 東・西東京大会」 )、いつの間にか、過去の大会に関する記事のフォルダが丸ごと削除されてしまったようです。この記事の全文をご覧になりたいかたは、お近くの図書館にある朝日新聞の縮刷や、あるいは記事データベース検索
などでご確認ください。
また、他にも以前、【高校野球と丸刈りについて ──誰もきちんと論じていない「イマドキの球児事情」──】という特集記事の中の【重要な補助線:女子選手の場合は?】という一節で2例ほど実例を紹介しています。そちらも参考にしていただければ幸いです。
●Twitter上で知り合った方の中にも
以前にTwitterで弊社がフォローしていたかたの中にも、高校で野球をやっていて自分も男子部員と一緒に丸刈りになってしまった、というかたがいらっしゃいました。ただ、今現在(2020.06.18)ではもう既に高校を卒業されているはずですし、だいぶ前に弊社からのフォローも外していますので、現在の連絡先は分かりません。
もちろん、上記の例は本当に「単なる一例」でしかありません。それに、今は女子のみの硬式野球チームも各地にできていますし、男女の体格・体力差を承知の上で男子の中に入って野球に打ち込もうという決意を固められる人はそれほど多くないとも思います。それでも、全国で4000弱ほどある高校野球チーム(つい最近、とうとう4000を割り込んでしまいました)の中には、同じような発想の人が他にチラホラと存在していても全く不思議ではありません。
●結局、この論点をどう捉えるべきか
もちろん、今は男子の野球チームについても「丸刈りの強制はやめよう」という流れになってきていますが(これについては別途、特集記事を予定しています)、一方で、野球人のシンボルないしアイデンティティとしての坊主頭はむしろカッコイイ、という発想に到る子も少なくないのです。
そうすると女子選手の中にも、男子と肩を並べて一人前の戦力として認められたい、そのために髪を切るなんて全く苦でも何でもない、むしろ男子部員たちと戦友意識を共有することになるのだから大歓迎、それにそもそも昔から髪にはこれといった思い入れはない…という考えを持っている人も当然いるはずです。
そして、「世の中にはそういう子も、逆にそうでない子もいるのが当たり前」という前提に立って、頭を丸めるのかどうかは自分の意志で決めなさい、そして、自分で決めた道なのだからそれを信じてまっすぐ進みなさい、と背中を押してあげるのが、われわれ大人の本来あるべき姿なのではないか、とワタクシは思うのです。
そもそも、女子中高生が頭を丸めることで「変わり者」あるいは「女らしさに欠けてみっともない」といった誹謗中傷を受けるリスクは、最初から本人も重々承知しているはずなのです。それでも、おおむね中学生以上の歳であれば「何か壁にぶつかっても、最大限の努力をして自力で何とか解決策を模索しなさい。そして、もしどうしても立ちゆかなくなったときには、かつ、その時にのみ、躊躇せず堂々と大人に頼りなさい」と突き放して、適度な距離で成長を見守ってあげるのが、理想の育児・教育の姿なのではないでしょうか、とも思うのです。
…とうわけけでここまで、40代未婚・独身、もちろん子供なし、そういう寂しい大人からの独り言でした❤